2023年8月20日(日)

気づけば10日ほどの記憶が危うい。


まず、夫がコロナになって数日後のこと。夜中、気分が悪く起きた。夫は隔離していたので、私はリビングのソファでマスクをして寝ていると、気持ち悪く頭が痛かった。私も感染したのかと思い、トイレに行くと吐いた。夫はこんな症状なかったな思いながら、部屋に戻り水を飲むと、さらさらと吸収されてない感じがした。熱中症かもと思いエアコンを見ると切れていた。震えが止まらない。この部屋が暑いのかどうかもわからないが、きっと暑いのだろう。暑い部屋の中で布団をかぶりマスクをして寝ていたせいで、熱中症になってしまったよう。急いでポカリスウェット飲む。一口飲むごとに吐いてしまう。体温を測ると38℃を越えていた。数時間格闘し、いよいよ震えが止まらなくなりやばいかもと思い、夫を起こす。夫は私をコロナだと思っている。急いでベッドシーツなどを交換し、今度は私が横になる。しかし、とにかくトイレから出れない。夫が「君、その症状、食中毒のときみたいだ」と言われる。私も思い出していた。いよいよぐったりしてきて、やばいと思い病院へ行こうにも連休でほぼ休み。どうにもならずに、救急車を呼ぶ。呼んでいいのかどうかわからないんですと話しているのに、症状を話すと今からすぐに向かいますと言われる。意識がもうろうとしてくる。救急隊がやってきた。隔離中の夫がオートロックを開けて、部屋に戻っていった。3名の救急隊は、旦那さんコロナなの?と聞く。あなたは?と言われ、まだ検査をしていない旨を話すと、これはコロナの症状ではないけれど、とにかく熱が高くて、部屋もかなり暑いし、熱中症のひどい症状だから、病院で治療してもらった方がいいという。「病院には行きたくないので、ここで療養します」とはっきりと意志表示をする。じゃ、とにかくエアコンをかけて部屋を涼しくしてください。それから、脇と首に氷枕と、吐いてもいいから水分をとるようにと言われる。そのうち混乱してきて過呼吸になってしまった。ひたすら謝る。「あのね、症状ひどいし、不安だろうし、でもいつでも呼んでいいんですからね。呼ぶだけでも安心するし、症状が和らぐから」と声をかけられ泣きそうになる。そうか、私の症状は呼んでいい症状だったんだ。と安心し、水を一口飲んではトイレではくというのを丸一日続けた。


次の日、喉に痛みがあり、熱が41℃を超えた。これはコロナだなと思い、夫に検査キット持ってきてと頼む。夫がやってくれるというので、任せたら、夫は違うところに液体をさしてしまったよう。失敗。私はコロナなのかインフルエンザなのか分からないまま高熱と戦う。咳が止まらなくなり、3日間一睡もできなかった。眠れず、起き上がっていないと呼吸が苦しいので、一晩中ベッドで座っていた。こんな時には、ミランダジュライしかないと、夜中に本棚からミランダジュライを3冊持ってきた。こんなに苦しくても本は読めるのか。『いちばんここに似合う人』がこんなにも孤独感を癒し、優しい物語だったとは。


送り火の日。私たち長男夫婦は、夫の実家で送り火を毎年担っている。しかしコロナで行けそうにないというと、夫の両親がいろいろ持ってきてくれた。夫がリクエストしたハンバーグ弁当、謎に大量の蒸しパン。蒸しパンって水分持ってかれるやつではないのか。ゼリーとかプリンとか食べやすそうなものが一切ない。私の好物のしらすはある。両親の気遣いに泣きそうになる。でも、今はこれじゃないのよ。ゼリーなのよ。アイスなのよ。夫は病み上がりでハンバーグ弁当を食べていた。私はそこで自分が無味無臭になっていると気づく。ただのぐちゃぐちゃしたハンバーグを食べた。味も匂いもしないけれど栄養はあるだろうと。


療養期間を終えて、検診のため病院に行く。往復歩くのもしんどいためバスで向かう。声がかすれていて全く聞き取れないであろうが受付で名前を伝える。「予約のとり方を間違えている」となぜか受付の人に怒られる。4か月前に確かに右胸にあった0.5ミリのそれはなんと小さくなっていた。エコーの先生が、念入りに見てここにあるはずなのにないのでちょっとダブルチェックしてもらいますねといって、担当医がやってきた。担当医が念入りに私の右胸を調べる。ない。二人とも驚いている。なくなるっていうことはあるんですか?と聞くと、女性は生理があるからなくなることはあるとのこと。私は、本当にないのかはっきりさせたいからもっと念入りに見て欲しいと伝える。先生2名と私、モニターを見る。エコーの画像を見慣れているというのも悲しい。そこで、あ!っと3人が声を上げた。あったのだ。それはまちがいなく形が少し歪んでいたが同じ場所にあった。でも念入りに見ないと分からないほどのものになっていた。小さくなって、悪い形ではなくなっていた。先生が「私たちは、これは癌かどうかと疑って、いいものもそういう目で見てしまうことがあります。なので、フラットな視点に戻して、これはそういう風に感じるのかどうかこの画像をもう一度観てみますね。これは普通のなんてことないただの体液なのか、腫瘍なのか」こういうことをちゃんと話してくれる先生で良かったと思う。結果的に言うと、悪いものではなさそうなので半年後に経過観察ということになった。良かった。なくなることはないと思っていた。大きくなってなければいいなと思っていた。それが小さくなっていたなんて。私のこの半年間の徹底した食事改善がよかったのだろうか。乳製品と洋食を徹底的に減らし、和食中心にした。毎朝、ごはんとみそ汁とぬか漬けを食べ続けた。それがよかったのだろうか。都市伝説みたいだけれど、私にできることはそれくらいしかなかったからやって良かったのかもしれない。嬉しくて。すぐに夫に電話する。癌ではなかったことで夫も安心していた。家族にも連絡する。ケーキも控えていたが今日くらいはいいかと、好きなケーキ屋のケーキを買って帰った。もちろん無味無臭だし、1個も食べられないのだが、それでもこれはお祝いだからいいのだ。夜、咳止めを飲んで寝たら数日間ぶりにぐっすりと眠れた。


次の日、ほぼ日の新作発表会に呼ばれ、本社へ伺う。ほぼ日のファンだがこんな夢みたいなことあるだろうか。いち早く新作を見て、手に取ることができて幸せだった。イベント全体の雰囲気は、社員の方々が皆さん人見知りなのか、静かな雰囲気であった。私も声がかすれていてうまく話しかけられなかった。夫に「きみ、他の人に比べると全然写真撮ってないけど大丈夫?」と言われ、慌てて写真を撮る。気になった商品について、いろいろ伺う。帰りに手土産を頂いて帰る。さぼうる2で休憩してから帰ることに。夫はナポリタンをおいしそうに食べていた。私は無味無臭のクリームソーダ。店員さんが、「みなさん、せっかくお越しいただいたのに音楽もかけないでお食事されて、、、」と私の頭上の棚にある昔懐かしのラジカセをかけてくれたが、とびまくっていた。次にまたその方がいらして、「あれ!大変なことになってましたね」とかけなおしてくれたらSMAPの夜空ノムコウだった。懐かしくて、シュールで泣きそうになった。生きててよかった。二人とも、へとへとになって電車で帰ってきた。


昨日、朝起きて少し味覚が少し戻ってきていることに気づき、ごはんを炊く。でも、ガスの音もごはんの炊きあがりのピーピーする音も聞こえなかった。高熱が出ると中耳炎のような症状で耳が聞こえにくくなるのは幼少期の頃からだ。夫の会話も聞き取りにくい。


朝 ごはん、豆腐とわかめの味噌汁、卵焼き、ウインナー

義母はよく「卵さえ食べてれば大丈夫よ」が口癖で、今回も大量に卵を持ってきてくれた。それを消費するために卵4つを使用して卵焼きを作った。が、全く食べれなかった。モッパンを見てやってみたが私の食欲はまだ回復してなかったようだ。起き上がっているだけでもしんどく、食事をするだけでもしんどいため、昼に起きたが早めに寝る。


そして、今日。起きたら昼だった。二人でコンビニに行く。しんどい。5分もしない距離なのに二人ともふらついている。何を食べたらいいのか頭が回らないまま、二人そろって豚キムチを買っていた。喉にしみて、お腹が痛くなったので失敗。カフェオレも飲んでしまった。喉に悪そうだ。原稿の締め切りがある。PCに向かうが、座って文字を見ているだけでもしんどい。今日は書けそうにないので、もう寝る。明日は、少しでも良くなっていますように。

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