ある日。

朝、前の日に買ってきたパンをそれぞれ食べる。夫はチーズパンを、私はフレンチトースト。それにカフェオレを一緒に。

近頃の私たちはなんかギクシャクしていた。二人ともどうしていいのかわからなかった。私たちには、一つ決めていることがある。その日のモヤモヤは次の日に持ち越さないために、寝る前に二人で話して、ごめんねと言って、仲直りをして眠ること。それすらもできない、話もできないほどに、なぜかギクシャクしていた。夜になると、夫は深夜までテレビを見たりしていたし、自室の扉を閉めて出てこなかった。話しすらできなかった。いよいよ、つらくなり、家を出て、泣きながら父に電話する。「つらい」と泣きつく。40目前の私は、相変わらずいざって時に父に泣きながら電話をする。鳴き声しか伝わらない私に向かって、父は「大丈夫だ。いいんだ。しゃべらなくていい。落ち着いてからでいい」という。これは昔から変わらない。散々泣いて喋った後に、父はおそらく夫に申し訳ないとかなんとか言って、連絡して、夫が迎えに来た。夫と二人で話してわかったこと。どうやら、夫は私がイライラしていることにどうしていいのかわからず、何をしても裏目に出るし、本当にどうしていいのかわからなくなって、とにかく私を一人にすることが大事だと思って、そうしていたようであった。そうだったのか。「なぜ、それを言わない?」と聞くと、「え、すべて言うの?そんなかっこ悪いことできないよ」と言った。私たちは結婚するときに約束したはずだ、何でも言葉にして話すと。たとえそれが相手を思っての嘘であったとしても、正直に話すと。でも、私も言ってなかった。一人にされて不安だったことを。そういったどうでもいいささいなことまですべて話して、仲直りした。それが前の日の夜のことだ。


大きなすれ違いをして、私が大泣きをして、夫が悪いと謝る。その次の日に、私たちはパンケーキを食べることが多い。この日も食べに行った。でも3枚もあるボリューミーなパンケーキは私には重く、1枚とちょっとしか食べられなかった。大の甘党の夫は、私の分も含め5枚も食べた。見ているこちらが吐きそうだった。夫が、甘味処のみはしで、白玉を10個食べた時を思い出した。その話をしたら、食べ終えた夫が、「あの時もしんどかったけど、今もしんどい」と言った。若い子たちに人気のあるパンケーキ屋なのに、立地が立地のせいか、そこには中年カップル、中年夫婦?らしき二人組たちと、一組の女子高生たちがいて、なんだかむなしかった。若いものたちの文化に必死でしがみつこうとしている自分たちが。夫も、悲しいと言っていた。

店を後にして、しょっぱいものが食べたいと繰り返す私。夫も珍しくマックのポテトとか食べたいという。そのため、マックに言ってポテトとナゲットを食べた。「はぁ。もう一生分のパンケーキを食べたわ」と繰り返しながら食べる。この後お茶でもしようと話していたが、もうここでコーヒーを飲めばいいのではないかと言うことになり、追加でコーヒーを頼む。二人で笑った。

あれだけ二人でパンケーキパンケーキと言って浮かれながら言って、1時間以上並んで、もう空腹の限界まで待って、それなのに私はろくに食べれなかったし、マックポテト食べてるし、なんだかわからなくて面白かった。

でも、きっと今日のことも何度も思い出話として、今後登場することだろう。こういう日の積み重ねが夫婦の幸せにつながるのだから。たまにはこんな面白い日もないと。


江國香織の『物語のなかとそと』読了。 書くこと、読むこと、その周辺について綴られたエッセイ。 江國香織のエッセイは数あれど、その中でもかなり好きな本だった。こんなにも本を、物語を書いていて、それなのにそれ以上に本を読んでいる。純粋に読書することを楽しんでいる。本屋でバイトしながらお金を貯めては旅に出て、物語を書いては応募して、そんな若かりし日のままの本への愛情がこちらにまで伝わってきてよかった。ただただ好きな事だけをしている。物語を書き、物語を読み、好きなことをして、自由に生きようとする江國香織のありのままの姿が、本好きにはうらやましい。本当に楽しい本で、読み終えるのが嫌でちびちび読んだ。でも読み足りなくて、また繰り返し読んだ。もっともっと何度でも読み返したい。

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