ある日。
朝、鶏肉ときのこの炊き込みご飯のおむすび、豆腐の味噌汁、ヨーグルト。鶏肉ときのこの炊き込みご飯はウーウェンさんのレシピで、前の日の晩に大量に作っておいたもの。それをおむすびにしておいた。海苔を巻いて食べたらおいしい。鶏肉に目がない愛犬は鶏肉の匂いを察知し、半狂乱であった。食後、洗濯を干そうと外に出たら、サンダルの横をダンゴムシが歩いていた。すぐ近くの木で鶯が鳴いていた。春だ。
お昼、お弁当。鶏肉ときのこの炊き込みご飯、煮卵、甘酢あんかけ肉団子。春、自分で作ったお弁当でさえも美味しい。愛犬の散歩に行く。夫が「春みたいに気持ちがいいなぁ」と言う。愛犬も浮かれている。私も浮かれている。ようするに私たち家族は三人そろって浮かれていた。
夕方、春先の不調に加え、気持ちが乱れ、ごはんを作ることを放棄。今度は私が半狂乱(笑)。コンビニでご飯を買ってくる。無理に料理をすることはない。コンビニで買いますよーと気軽に宣言できるようになったのも、夫のおかげだ。無理して私が不機嫌になるくらいなら、その方が夫的には平和が保たれるということらしい。
その後、夫に、「なんで君はすべての電気はつけっぱなしだし、ドアは開けっ放しなんだ」と言われる。歯を磨きに行っただけなのに。私は、自分が向かう先のドアは開いていてほしいし、向かう先のその部屋の電気はつけておきたいんだという意味不明なルールを夫に思い切って話してみた。暗闇が怖いし、自分の見えないところでなにかが起きていたら怖いからと言う。誰に話しても理解してもらえないので、理解してもらおうとは思っていないが、私たち夫婦は何でも言葉にして伝える。そして、相手を尊重するのをモットーにしているので一生懸命意味不明ルールを伝えようとした。夫は完全には理解できなかったようだが、理解しようとしてくれて、妥協案を見いだせた。しかも夫の言い分は、別にケチなわけではなくて、ただ、家のあちこちの電気がついているとまぶしいということらしい。お互い、初めて知った。結婚10年でもまだまだ知らないことはそれぞれにある。夫に言われたのは「夜になるときみは敏感になる」と言うことだった。今まで気づかなかったけれど、言われてみればそうだ。夫には聞こえないけれども、隣の住人の会話が聞こえたり、遠くの車の音が聞こえたり、何ならうちに配達にやってくるバイクの音も分かる。うちはマンションだし、割と窓を閉めてしまえば外の音なんて何も聞こえないのに、それでも私には夜になると聞こえる。それに光にも敏感である。遥遠くの雷の光が見えたり。どうやら、他の人にとってはなんにも起きてないことらしい。私が「だから、私は何をするにも勇気が必要なんだな」という意味不明な言葉で締めくくった。
こんな日はお風呂に入るとよくないことが起きそうなので、シャワーをさっと浴びて、すぐに寝る。
『遠くの街に犬の吠える』吉田篤弘読了。「本に書かれてあることがすべてじゃないんです。本の中から学べることは多々ありますが、普通に人が人として生きてゆく中に、ぼくたちの知りたいことはほとんど全部あります。ただし、それは漠然と日々を過ごしていたら気がつきません」っていうのがなんか印象的だった。 「天狗の詫び状」って向田さんの父の詫び状みたいだなとか、羊羹と言う言葉が出てくるとまたしても向田さんが思い浮かんで、私は完全に向田邦子中毒のようだ。
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