ある日。
相変わらず咳が止まらない。余裕もない。頭が回らない。余裕を持とうと、なんとか一人時間を確保してスタバに行く。ぼーっとしに行くのに本なんて持っていったら、夢中で本を読んでしまうため手帳だけを持っていく。クーポンがあったので、ティラミスなんとかフラペチーノていう陽気な飲み物を頼んでしまった。考え事するときにはカプチーノだし、ボーとするときにはティーラテなのに。クーポンが来ると、だいたいこうして焦って変なのを頼んでしまう。私はうっかりしてついついクーポンを使い切ることができないので、来たらすぐに使うことにしている。それにしても、フラペチーノはなかったなと思う。手帳に考え事を書き出す。頭の中のモヤモヤを書き出す。気づいたら自転車を買いたいと3回くらい書いていた。欲しい自転車がある。自転車は気持ちいい。あと、どうでもいいというかライトな感じのは谷崎潤一郎と三島由紀夫を読み返したいとか。クローゼットの考察とか。こうして何でもかんでも書き出していくと、頭の中がすっきりする。数日間、毎日夫に「きみは一人でスタバでも行ってぼーっとする時間が必要なんだ」と言われていた。村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる主人公がみどりちゃんに同じようなセリフを言うところがあって、こういう男の人は好きだなぁと思っていた。そのせいか、夫のことがとても色気のある男に思えた。
次の日。パワースポット的なカフェで手帳を開いた。夫と、それぞれが余裕を持てるように一人時間を必ず持とうと決めた。たのしいことがたくさんあればいいなと思い、二人で交互にお一人時間の楽しみを書いていった。私は、ここでも自転車をこぐことと言っていた。自転車は本当に気持ちいい。夫の楽しみの中に、一人焼き肉があって、それは焼肉でもなんでもいいのだが、一人で何かと向き合って食を楽しむことを楽しみたいらしい。いいなぁと思った。夫は美味しいものに目がない。ランチに行くと言えば、必ずおいしいお店を探し出してそこへ行く。コロナ禍だから仕方ないが、なかなかそれが叶わなくなった今、そういうことを改めて愛おしい時間だったんだなと気づいた。ここのカフェで手帳を開くともう一ついいことがあって、それは今後のヴィジョンが明確になること。気の流れがいいところには割と敏感なので、そういうカフェは必ず定期的に行くようにしている。帰り道、ラーメンでも食べて帰ろうということになり、ラーメン屋に並んだところ、前の女性二人が食券を買うのにてこづっている。お店の人がいろいろやって、次に私たちの番が来たが食券が出ない。バンバンたたく私のところに大慌てで店員さんが来て、「すみません、釣銭がないようで、しばらくこちらでお待ちください」とまた行列の先頭に並んだ。ここで、私はやめようと思った。別に短気なわけではない。夫はこういうことがあって、私が待てない人だとか、短気な人だとか思っているようだが。私は、何かしようというときにスムーズにことが進まずに、こういうつまづきがあるときにはそれをやめることにしている。もしも、本当に私がそれをしてなにかいいことがあるとするならば、もっとスムーズにことは運ぶはずだと思っている。これは、仕事を始めた時から思ていることで、どんなに大型の案件であっても、そのために最初になんか違和感があったり、契約締結までに何度かつまずきがあると、だいたいそのあともなんかしらのトラブルがある。だから、最初から何の違和感もなく、つまずきもなく、進むことがやっぱり快適だし、そのあともなんとなく嫌だったなという感じが残らなくていい。そう思っている。
次の日、夫の買い物に付き合うことになり行ってみたら、私の欲しいものが次から次へと見つかった。夫がマカロンを買ってくれた。
次の日、義父がしらすを持ってきてくれた。上等な鎌倉ハムも。この前、私が義父とちょっとしたいざこざを起こしたので、私への気遣いではないかと思う。発熱し、咳が止まらない。コロナかなと疑う。ふらふらで立っていられない。今日で、5冊だけの本屋は6周年。皆様に感謝を忘れずに、丁寧に誠意をもって引き続き頑張ろう。はじめるときに10年は頑張ろうというのだけを決めたけれども、なんとかここまでこれた。人生何が起こるか分からない。
こうして、この数日をふりかえってみると、私はとにかく病んでいたんだなぁ。だいたい5月だとか6月だとかは、いつも落ち込んでいることが多いので例年通りではある。でも、咳は体力を消耗して、イライラするし、余裕もなくなるし、本当につらい。お昼に義父がくれたしらすでしらす丼。白米にたっぷりのしらす、葱、のり、ショウガ、ごま油としょうゆでいただいたらおいしかった。食後にコーヒーを飲む。
午後から仕事。
夜はカレー。トマトとなすのカレー。食後に、さっくりとクイックルワイパーで掃除して眠る。
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