ある日。

昨夜、11時に眠りについたのに、スポーツを深夜まで見ていた夫が遅くベッドに派手にごそごそと来たせいで目が覚めてしまった。そこから咳が止まらなくなり、冴えてしまった。そんな私の隣で夫は気持ちよさそうに両手を挙げて寝ている。万歳の格好で寝ている夫は赤ちゃんみたいで面白い。しばし、その様子を見ている。昔はよく隣に寝ている私に、この万歳している夫の肘が目に直撃し痛かったことが最近ではあんまりないなと懐かしく思い返す。そこから朝まで寝付けなかった。


朝、案の定、夫が私を起こしてくれる。起こしてもらっておいて、開口一番「あのさぁ、私腹立っているよ。満を持して言うけれど、あなたが深夜に眠るときにうるさいから目が覚めてそこから眠れなかったよ」と、延々と伝えた。するとめずらしく夫が、「それは俺がよくないな。本当にごめんね」と言って、朝食のパンを焼いてくれた。寝不足のせいか、私は、そのパンにピーナツバターを塗って手に持ったら、何が起きたのかパンを落としてしまい、お皿の上にピーナツバターを塗ったほうが下になった。唖然。夫も、なんでそういうことがおきるのかと大笑いしている。そんな朝だった。ヨーグルトをおねだりしている愛犬に見せびらかしながらヨーグルトを食べる。私は時々こうして愛犬に意地悪をする。愛犬も嬉しそうと夫に言うと、たぶん嫌がっているはずだよと言われる。


昼前、実家から宅急便が来る。お米、定年退職してから父が家庭菜園で育てている野菜、私のリクエストのどら焼きが入っていた。地元においしいどら焼き屋があって、そこのが無性に食べたくなった。私がリクエストしないと、母はいつも夫の好物のカステラやお饅頭を入れてきて私の好物は届かないので、今回はめずらしく私の食べたいものを強めに主張した。父と母、ありがとう。


夕方、モヤモヤしたのでコンビニに気分転換に行く。フルーツジュースを買った。家に帰って、それを飲もうとソファに向かったら、それが手から滑り落ちて床に落としてしまい、部屋中がトロピカルなにおいに包まれた。慌ててきた愛犬はジュースをなめてしまうし、夫は何が起きたのかさっぱり分からない様子で、それでも丁寧に拭いてくれた。あきれて、泣けてきた。何をしてもダメな時は本当にダメだ。


そのあと、Amazonprimeでザ・ハッスルを見て笑い、夫とファミレスにコーヒーを飲みに行き、ヤケでカップヌードルを食べた。カップヌードルを食べながら、こんな最高にやけ食いにぴったりな食べ物を生み出してくれた安藤百福に感謝する。そして、引き続きAmazonprimeで有村架純の撮休を観る。おもしろい。おもしろい。モヤモヤしていた気持ちが晴れた。すっきり。そうこうしていたら日付が回っていたので、慌ててシャワーを浴びようとしたら、ボディーソープがなかった。全然ないので苦し紛れで洗顔フォームで洗う。こういうのはすべて夫がやってくれているのに、珍しく夫はあちこちのストックを切らしている。忙しいらしい。


『フィッシュストーリー』読了。短編集なのだが、まずはじめの「動物園のエンジン」っていうタイトルがいい。言葉遊びが秀逸。「意味を求めるのも人間だけかもしれないな」という言葉にドキッとする。かつての私は、超合理主義だったので、意味のないことは一切手出しせず、いかに効率的にするかということばかり考えていて、なんとも面白みのない人間であった。でも久しぶりにこの本を読んで、この一文を読み返すと、なんと私の人生は無駄の多い面白い人生になったのだろうとほくそ笑む。たった、10年くらいでこんなにも真逆の価値観を自分の人生に取り込めた私の柔軟性よ。と、だれも褒めてくれないので、自分で自分をほめたたえる。再読のいいところはこういうところで、かつて衝撃を受けた一文を、なんとか自分のものにしたいと読み続ける、あぁ、どうにか本を読まなくても意識できるようになったなぁと思い、しばらく寝かしてこうして読み返すと自分の成長を感じることができる。そういう面白さが私は好きなのかもしれない。ということは、やっぱり向上心の強さなのだろうか。あいかわらず、伊坂幸太郎の川のたとえにしみじみする。「穏やかにたゆたう川の流れのような、淀みもしなければ、暴れもしない、そういった心を得るために」うんうん。そういう穏やかに私は生きていきたい。



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