ある日。
朝、10時に起きる。夫と二人あけましておめでとうと言い、おせちとお雑煮を食べる。愛犬、私たちの足元でくるくると回っている。去年はおせちもお雑煮も作らず、ただ焼き餅を食べていた。それがただただ寂しかった。今年はおせちも作り、お雑煮もたっぷり用意する。おせちの中身は、夫と私の好きなものだけを入れる。黒豆。かまぼこ。なます。蓮根のきんぴら。里芋、椎茸、にんじん、手編みこんにゃくの煮しめ。今年はローストポークを追加。これは簡単なのにおいしかった。豚肩ロースの塊肉ににんにく、はちみつ、塩コショウなどで下味をしておく。それを常温に戻した後で、オリーブオイルを熱したストウブで一気に焼く。ローストビーフのように転がしながら焼いて、焼き目がついたら取り出す。ストウブに盛大にくし切りした玉葱2個分を投入し、豚の油を纏わせる。色がこんがりと変わったら豚肉を戻し入れて豪快に白ワインを入れて30分ほどに詰めるだけで完成。
帰宅後、向田邦子の『夜中の薔薇』を読む。かれこれ10年ほど、毎年向田さんで読み初め。それから手帳に目標を書いたり、考え事する。
おもち一つでも重い。夫は「餅ならいくつでも食べれる」と、本日合計4個食べていた。見ているこちらが吐きそう。食後、引き続き『夜中の薔薇』を読む。夫は、ハンドメイドでアクセサリーを楽しそうに作っていた。私は、そんな夫の隣りにまとわりつき、顔がくっつくくらいの距離で夫の手元を見る。目と手がおかしくなるような作業。ちょっとやってみたくなった。夫に簡単な部分やらせてという。「きみはパーツをなくしそうだから、やだなぁ」と言いつつも簡単なところだけやったが時間がかかった。それだけで満足したので、読書に戻る。
『夜中の薔薇』のなかの「手袋をさがす」は何度読んでもよい。私のために書かれたものだと思う。でも、今年はこれまでとちょっと違った感じを受けた。きっと私が年を重ねたから。私は、向田さんのように毎日が楽しくなくて、イライラして、もっともっとと何かを追い求めていた。両親が、私のことをよく強欲と言った。でも、今はそうではなくなってきたのかもしれない。満たされているのかもしれない。欲望の塊であることは、夫に言わせると私の長所であるらしい。少々丸くなった自分が悲しいような、嬉しいような気分になった。これがきっと年を重ねるということなんだろう。
それに代わって別の一文も新たに刻まれた。「美しくなくてもいい、最後まであきらめず、勇猛果敢に生きてやろう」だ。生き延びるという価値感すらなく、いつも死を待っているような生き方だった。でも、40歳目前にして、初めて生き延びたいと強く思うようになった。人生100年時代。私は誰よりもハッピーにがむしゃらに生き延びたいと思った。死際、往生際悪くても、がむしゃらに生き抜くんだ。今年からの私の新しい目標。
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