2023年5月23日(火)
雨。15℃。寒い。愛犬のために暖房をつける。
朝食、ごはん、大葉とごま塩とごま油を和えたもの、煎茶。
ここ数日の不調で、生活は乱れに乱れようやく今日からリセット。洗濯したり、掃除したり、食器を洗ったり、料理をしたり、図書館にいったり、そういうこまごまとした家事やら仕事やらをこなしながら心身を整えていく。リズムがでてくる。仕事。連載中のコラムの原稿を書く。
昼食、納豆ごはん、ささみと大葉チーズのフライ、アイスカフェラテ。
夫が、アイスカフェラテとホットコーヒーを半分ずつ飲みたいと言うので、グラスに半分だけアイスカフェラテを作った。その後、自分でホットコーヒーをカップ半分に作っていた。こういうところ、私にはない発想で面白い。コーヒーを飲んでいる夫を見て、笑いが止まらない。
午後、原稿の続き。集中したいときのジャスミンティーをたっぷりと作り飲みながら書く。原稿、だいたいできた。明日の朝、最終確認して担当者に送ることにする。
夕方、週末に行ったテテリアティークラブのことを思い出して幸せを感じる。大西さんに久しぶりに会えて、思わず手を振ってしまったことを帰り道で後悔。夫にも、「きみって、そういうところすごいよね」といわれる。私は、通りすがりのあかちゃんにも、老人ホームの窓から外を見ているおばあちゃんにも、有名人にも、家族にも、同じテンションで手を振ってしまう。それにしても、大西さんの淹れる紅茶のなんたる美しさよ。ただ、おいしいだけではない。美しいのだ。シンプルで誰でも再現性を高められる淹れ方、パッケージに書かれたなんてことない言葉の一つ一つ。購入する紅茶を両手に抱え、まるでファンミーティングのようにまだかまだかと一列に並ぶ客たち。「今日は○○県から来ました」とか、「○○でお会いしたことあります」とか、それぞれがお話をする。大西さんは、一人一人のそのエピソードを覚えていて、あ、そうそうと話す。それが素敵だといつも思う。人混みが落ち着いた頃に、20代前半くらいのスケボーに乗ってそうな男性二人組がやってきた。ほっこり女子たちの溢れた空間で、男性のひとりが丁寧に紅茶を選び、私の後ろに並んだ。店を出た後、後ろからやってきた彼ら。「たくさん買ったね」と一人が声をかける。「うん、いっぱい買えてよかった」ともう一人が答える。「これが買いたくて、わざわざ鎌倉まできたんだもんね」「うん、本当にありがとう」と話していた。帰りにベルグフェルドでサンドイッチを食べ、段葛の緑のトンネルを歩いて帰った。家に帰り、スコーンと紅茶を手に取る。嬉しい。すべて美しい記憶。
スピッツの「美しい鰭」を聴きながら、雨で濡れている庭を眺める。スピッツ史上、もっとも好きな歌詞。最後から最後まで好きな歌詞。あと3年くらいはこの曲だけを聴き続けるだろう。
少し前に、リビングのゴミ箱を買い替えた。夫が一人暮らしをしていた時から使っていた筒形のゴミ箱が、どうも使いにくくなってきて長方形の蓋つきのものに買い替えた。ポスティングされるチラシやら回覧板のなんやらをそのまま捨てることができて快適になった。洗面台のゴミ箱も買い替えた。これまで、サニタリーボックスみたいな小さいゴミ箱だったのを、10ℓくらいの大きさのものに変えたら夫も「思いっきりごみを捨てられてよい」と言った。玄関マットも買い替えた。バスマットみたいな楽に洗えて清潔なものから、重厚感ある(安物だが)アイボリーのペルシャ柄のマット。ふかふかで、靴を脱いで家に入る一歩目が気持ちいい。こういう小さな変化が心地よい生活へとつながるのだろう。今の私は、好きと心地よさが溢れていて気持ちのいい生活ができている。少しずつ、少しずつ。
夕食、上海焼きそば、豚汁。
仕事。それから『余命一年、男をかう』を読む。いいタイミングで読めている。図書館から借りた本だけど、手元に置いておきたい。
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