ある日。
朝5時から仕事。
朝から夫が頼んでいたカーテンが届く。中国から届いたんじゃないのかというほどひどい梱包で届いてびっくりする。夫の部屋に置いておいたら、夫も驚いていた。梱包、ひどいなぁと。
そして、しばらくしてまた荷物が届いた。だいたい我が家はいつもお昼あたりに荷物が届くのに、朝の9時にしてもう荷物が二件。私なんぞまだパジャマだというのに。カチンとくる。その一つが私の荷物だったのだが、私はいつも時間指定をしている。もちろんその荷物も日時指定しており、前の日に郵便局からもその日時で届きますとメールも来ていたのに、早い。うちにくる郵便局の配達のおじいさんは意図的に早く持ってくるのだ。それで、帰り際に、「あ、すみません。日時指定見逃していて早く来てしまったので」という。最初は「あーそうですか。大丈夫ですよ」なんて言っていたけれど、毎回そうなのだ。それでいよいよブチ切れて、夫にそれを話すと、俺が出てあげるよと玄関で対応してくれた。そうしたら、なんとそのおじいさんはまた、帰り際に「あ、時間指定でした。気づきませんで」と言ったらしいのだ。それで、夫が「毎回そうですよね。気を付けてくださいね」とかなんとか言って割と大きな声で注意していた。家の中にいても夫の大きな声が響いていて、夫は声を荒げる人じゃないので驚いた。それでも、相手は「すみませ~ん」とか言っていってしまったらしい。夫はムカつくから、電話すると言っている。夫はきちんと仕事しない人が大嫌いだ。それで、私が言うからいいよと言ったけれども、あのおじいさんはずっとああいう感じなのできっとこれまで何度も注意されているだろう、そして、それでも響かないひとなんだろうなぁと思った。こちらの意図を誠実に何度も何度も伝えても話が響かない人っている。そういう人たちには何を言っても仕方ないので、エネルギーをそんな人たちに費やしたくないため、私は引くことにしている。よって、夫も私も電話はしなかった。
いろいろあったので、夫と喫茶店でランチにする。夫は行ったことがあったらしいが私は初めての喫茶店だ。ルノアール系列だけあって、接客がいい。そこで私は卵サンドを夫はナポリタン。ナポリタンをオーダーした時に温泉卵を乗せたランチセットのほうがお得ですよとしきりに店員さんが進めてくるが、ナポリタンにそんな卵を乗せてほしくない夫はいやこちらでいいですと伝えていた。そして半分ずつ食べる。卵サンドはぎゅうぎゅうに卵が入ったのがすきなのだが、それはぱきっとした緑のフリルレタスに上品に卵が挟まれていた。レタスがはいった卵サンドは苦手だ。私はいつもこぼすのだが、レタスがだいたいびろーんと先に抜けてしまい、具材が落ちてしまうからだ。そのため慎重に食べる。おいしい。さっぱりしている。ビネガーかな?うん美味しい。そして、卵サンドになんの興味もない夫もこれはハニーマスタードがきいていて本当に美味しい卵サンドだなと言ってうなっている。コーヒーをおかわりして店を後にする。
買い物して帰り、夜はタコスパーティー。実家からまたいろいろ野菜が届いたのでそのため。私がアーリーレッドが好きだと言ったら母がたくさん送ってくれた。アーリーレッドはそんなに消費しないけれど、うれしいからそれをもりもり使ってタコスにした。おいしい。
ちびちびと皆川明の『Letter』を読んでいる。ミナペルホネンのサイトにて掲載された皆川明による手紙のような詩のような言葉たちをまとめた一冊。私はこの本好きだなぁ心の底から思った。
湖、何も持たず歩くことの自由感、旅、ひらめき、過去と未来と今この瞬間、アイデア、信念と自由と挑戦、嬉しさ、 芸術、レシピ、空想、作ること、朝。 これらの美しい言葉の羅列がただ単に好きだと思った。
「9月23日 空想に浸るようになった。朝食が大切になった。夜の空白の時が楽しみになった」
「1月30日 無心とは 心しか無いということなのかな」
最近の私のテーマは、「余白」と「無心」だ。無心ていいなぁと最近気づいたのだ。夢中でもなくて無心っていいな。無心になることで、余白が生まれると信じている。でも、私が無心になれることってなんだろうと考えてみたら、それは本を読むことであった。本を読んでいる間は無心になれる。本の世界にどっぷりと浸れる。だから、いい本を、読みたい本を読むことは、無心になれることなのだ。それは心から読みたい本でないといけないわけで、そうでない本をちまちまと読んでみたところで気があちらこちらに飛んでいく。「あ、そろそろ夕飯のしたくしないとな」とか「明日はあれを買いに行かないとな」と言った感じで、心ここにあらずなのだ。でも、本当に読みたくて楽しみにしていた本は、やっぱり無心になるし、一言一句逃さないぞって思うし、すてきな文章に遭遇したら、そこを何十回も読み返して、メモなんか取らなくたって自分に叩き込んでやるぞと思うし、そんな調子だから、読み終えた後は余白が生まれているのだ。だから読書はやめられないのである。
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