ある日。
朝ごはん、前日までに私が少しずつ残してたパンを、夫と二人で間食する。メロンパン半分、あんパン半分、クルミパン二個、ヨーグルト、シナモンココア。夫はナッツアレルギーのため私がクルミパンを完食。クリームチーズをぬって食べたらおいしかった。クリームチーズをぬっているときに、あぁ、ブルーベリーベーグル食べたいなぁと思っていたら、クルミパンに申し訳ない気持ちになったので、クルミパンに集中する。
ものすごい強風の中、愛犬と夫と三人で散歩がてらドラッグストアに行く。お目当てはごみ袋だ。我が家は30ℓのごみ袋なのに、そのドラッグストアはいつも完売しているため変えずに私が40ℓを買ってきたらでかすぎると夫に指摘を受けた。料理するときには10ℓのごみ袋に生ごみを入れているのに、私は20ℓを買ってきてしまう。別の日には、3ℓのを買ってきてしまったことがある。この時には、意外と3ℓって使えると夫が発見し重宝している。こうしてなぜか種類豊富なごみ袋がそろっているので、夫に念を押される。「きみ、ごみ袋は30、10、3リットルだよ」と。そして、夫は外で愛犬と待っている。あぁ、不安だなと思いながらごみ袋コーナーに行くと、なんと30リットルはあった。ほっとする。でも10と3リットルがない。どうしよう。でもなんとなく縦〇㎝、横〇㎝という表記を目安にそれっぽいごみ袋を買ってきた。ところが、帰ってきて料理をするためにいつもの10リットルに近いであろう買ってきたごみ袋を広げたところ、とんでもなくちっちゃいのである。唖然。夫は笑い転げている。「きみ、それは、俺が掃除で使う3リットルに近いからナイスだよ」とフォローしている。私がおもむろにさらに小さい新たに買ってきたごみ袋を見せたら、もう夫も笑いが止まらなくなっている。また、新種のものを買ってきたねと。。。こうして、我が家は無数のごみ袋を抱えている。もう、自分でもあきれて、ごみ袋を買いに行くのが恐怖症になりつつある。おとなしく違うドラッグストアで本来のサイズを探してこようと決心。
夜ごはん、ぎょうざ、レタスのオイスター炒め、白菜の味噌汁、黒米。ぎょうざがいい感じで羽がついて焦げ目がついて上手く焼けた。夫はここのところ血圧が上がっているのかしょっぱいのを控えるというのに、しょうゆをとんでもなく使っていて唖然とした。いい加減にしてほしい。それに、具合が悪いと言っていたのに、食後にコーヒーとスイーツまで食べていて、あきれていたら、途中からテーブルに前かがみになり顔は真っ青なので、まさかと思ったら案の定具合が悪そうだった。この人は具合が悪いのに、食欲は衰えないから具合の悪さのバロメーターが分からない。しかもめまいがするというので、目の前がくるくるまわっているかんじなのか、ゆらゆらゆれているかんじなのか、とか根掘り葉掘り聞いたが、めまいをそんなにうまく説明できないという。あまりにも病気したことがないためかどう具合が悪いのかの表現が乏しすぎてちっとも参考にならない。病院に行ってと言っても、寝ていれば治るとか昭和の親父みたいなこと言ってきかないので、週末にでも実家に強制連行して休ませて来ようと思う。あきれた。
益田ミリの『そう書いてあった』を読む。ミシマ社から発売されているミリさんの本で、この本が最も好き。この中のミリさんはとっても楽しそうで、まっすぐで、正直で、それに面白い。それに、ここ最近、私は自分がいつ死んでもおかしくないように銀行とか携帯とかいろいろな事務手続きを、残しておこうと考えていたので、まさにミリさんが海外旅行に行く前の様子がピッタリとはまってよかった。私は常にいつ死んでもいいようにこの類のものはしっかりと誰でも手続きできるようになっている。でも、夫のはさっぱり分からないので、ちゃんとしてほしいなぁと思う。夫が死んだら、たぶん手続するのは私なのに。
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