ある日。
朝、起きれず。前日の不眠に悩む。春先の不調はまだ続いている。いつまで続くのかなぁと一人でぶつぶつ言っていたら、「今、春が遅れてるからね~」と夫が言った。この人のこういうちょっとした言葉がいいんだよね。
何とか起き上がってカプチーノを飲みながら仕事。
昼にカレーうどんを食べる。朝からずっとひどい目の痙攣があって、いよいよ視界がおかしくなるほどの痙攣になったので、図書館に行くのを諦め、アイマスクをして昼寝をした。
『ナナメの夕暮れ』読み始める。この本好きだわー。自分の中の言葉にできない気持ちがズバッと書かれていて気持ちいいのだ。2015.8〜2018.4までダ・ヴィンチの連載をまとめたエッセイ。
他人の正解と自分の正解について、野心と欲望について、現実を生きるためについてなど、ざっくばらんに綴っている。特に好きなところは、2009年のぼくというところ。あと前田健の言葉が妙に私にも響く。「四の五の言っても、幸せになったもん勝ちよ」という言葉。前田健のことはよく知らないけれども、なんだか亡くなった後もこうして思い出されているのって素晴らしいなぁと思う。
他にも、好きなことや趣味は必要であることについて、タイトルにもなっているナナメの殺し方はもう最高過ぎた。「『自分探し』と『社会探し』をしなければ、『生きづらさ』は死ぬまで解消されない。自分は何が好きで、何が嫌いか。自分が何をしたくて、何をしたくないか」というところ。本当にそうである。私も基本的に生きづらさを抱えて長年生きている。でも、自分が何が好きだということがわかっている人はだいたいにおいて生きやすくなっているのだと思う。生きづらさを解消するために、本気で好きなことを見つけて、それを未来の自分へのたのしみに生きている。未来への後悔をなくしていくだけではなくて、たのしみもちゃんと未来の自分のために用意しておくことができるようになると、人生は何とかやっていけそうと思うようになってくるから不思議だ。すきなもの、たのしみ、うれしみをどれだけ多く自分の中に持っておくか。それがすべてなのだと思う。
あと、「ぼくは、仕事終わりの喫茶店でジンジャエールを飲みながら腕を組み、違和感を抱いている先輩の価値観、仕事関係の人の価値観、両親の価値観、視聴者の価値観、このあいだ会ったキャバクラ嬢の価値観、今隣で愚痴をはき続けている見ず知らずの人の価値観を徹底的に批判した。つまり、本音を確認していた。すると、自分の価値観が むくむくと立ち上がってきた」というところ。こういうささやかな自分の本音の確認てものすごく大事。あっという間に他人の価値観に支配され、そのままいくと気づかないうちに自分の人生は乗っ取られている。あと、単純に喫茶店で考えるという行為そのものが好き。
心に残った言葉。
「ぼくはずっと毎日を楽しんで生きている人に憧れてきた。ずっと、周りの目を気にしないで生きている人に憧れてきた」
「他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、自分の正解が段々わからなくなる」
「人は『〜のためを思って』という大義を隠れ蓑にして、自分より立場の弱い者から自分の生き方を肯定する言葉をカツアゲしようとする」
「理想の自分に追いつこうとしているから、今日の自分を生きることはなく、常に未来の理想化された自分を生きている。だから、楽しめなかったんだ。今日じゃないな、今だな、もっといえばこの一瞬を楽しく生きてこられなかったんだ。37年もね。『今日の自分は本当の自分じゃない。自分というものはもっと高尚な人間なんだ』と言い訳(逃避)をして今日の自分をないがしろにしてきたんだ」「自信のない人は、失恋すると自分に価値が無いと思い込む。相手と合わなかったんだなと思えず、自分が悪かったと思い込む。その価値を取り戻すために相手を取り戻そうとするが、それは独りよがりなので相手にとっても自分にとってもロクなことはない」
「正論と断言が流行っている」
「正論は多分正しい。でも、おもしろくはない」
「"生きてて全然楽しくない地獄"からはどう脱すればいいのか」
「まず最初にやるべきことは"ペンとノート"を買うことだ。そして、そのノートの表紙に太めのマジックで"肯定ノート"と書くのである。恥ずかしがらずに、堂々と書くのだ」
「何でもいいから、自分がやっていて楽しいことを徹底的に書き込んでいった。なぜ、そんなことを始めたかというと"自意識過剰なせいで、自分が本当に楽しいと思うことに気づいていない"という予感がしたからである。日々、どんなに小さいことでも気づいたら書き込んだ」
「僕が子供の頃から、喉から手が出るほど欲しかった"根拠のない自信"とは、"おそらく自分は他人から肯定的に見られているだろう"というイメージのことだったのである」
「世界の見え方は、どんな偉人であれ、悪人であれ、思い込みに他ならない。肝心なのは、"どう思い込むか" である」
夕方になり、モヤモヤした時の気分転換、がむしゃらら~料理をする。小松菜ときのこの煮びたし、なすとピーマンとエリンギと新玉ねぎの中華炒め、レタスのサラダ、マグロの刺身をたっぷりの大葉と、かぶの浅漬け、納豆、もずく。次の日のお弁当用に、卵焼きと豚肉の醤油炒めも作った。煮びたしとかぶが嫌いな夫のために、普段は作らない料理の数々も作った。純粋に私が思いついた私が今食べたいものばかりを作り、盛大に食卓に並べる。「私が食べたいから作っただけで、あなたは食べなくてもいいよ」と言うと、いつもは頑なに食べたい夫が「大人だから食べますよ」と私みたいなことを言って食べ始めた。すると、煮びたしはやっぱりダメみたいで、かぶの浅漬けは美味しいという。どうやらかぶを皮ごと丸々葉っぱとともにつけたのが、パリッとした食感でおいしかったらしい。夫はどうやらかぶに目覚めたようだ。そして、「きみ、まぐろの刺身、随分美しく切るね」とほめてくれた。ありがとう。
0コメント