ある日

起きたらお昼で、午前中に膨大な会議をこなした夫に「お昼だよ」と起こされる。多分、前の日に強めの風邪薬を飲んだから起きれなかったんだろと思った。なんとなくそんな眠りとだるい感じだった。


昼、マックデリバリー。普段はたぶんひかれることのない期間限定のバーガー、テキサスバーガーがどうにも気になって、夫の分とともにデリバリー。いかついそれはそれは肉肉しいパテとバーベキューソース、それに分厚いベーコンとタコスが入っている。これは店で食べるのしんどいなぁと思いながら、二人で手と口の周りを盛大に汚しながら食べる。二人でシェアしようと頼んだポテトは出来立てで熱々で美味しかった。そしてスプライトも半分ずつ。デリバリーには、きちんとしたお姉さんがいつもきてくれて、夫曰く、金曜の夜にいつもいるめちゃくちゃ雑なやな感じの女性の店員とは雲泥の差であるらしい。


それからいそいそと出かける用意をして、銀行に行き、ドラッグストアで買い物をして、予約していた本が届いたと連絡が来たので本屋に受け取りに行く。それをスタバで読もうと思ったのに、スタバにしては珍しくとんでもなく横柄な店員がいて、モバイルオーダーのため受け取るだけなのに大変不快な思いをした。このスタバはいつも変な店員しかいないし、横柄な店員に当たったのは2回目なので次はクレームを言いたい。私は、接客がいい時も店長に伝えるし、悪い時にも店長に伝える。そんなことがあったせいか、全く読書は捗らず早々に店を出る。スーパーで、お肉をまとめ買いして、甘酒もまとめ買いする。
帰り道に、ちょっと小さな橋を渡るのだが、そこに蛇がいて渦巻きになっていて大変気持ち悪かったからダッシュで通り抜ける。なんで、こんな駅前の人通りが多いところに蛇がいるんだ。帰ってから夫にそれを伝える。この辺に蛇なんがいるわけないでしょと言われる。けれど本当にいたのだ。こちらに引っ越してきてから、リスはいるし、蛇はいるし、カブトムシは飛んでくるし、蜂の巣はできるし、本当にやだ。


映画を見たり、本を読んだりして、夜になった。私が家を出る前までは余裕な雰囲気だった夫は、夕方から仕事でテンパりまくりおかしな感じで部屋を出てきた。何か食べるというので、木村屋のあんぱんと栗かぼちゃのポタージュを二人で食べる。夫が、この組み合わせ最高だなという。


夜、武田百合子の本をあれこれ読む。なんていう洞察力と見たままをそのまま言葉にできる表現力なんだろうかと思う。

あと、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃・文章読本』読了。日本の文化は光と陰のバランスで美しさを保ってきたのだ。蛍光灯ではなくろうそくの火でこそ見える美しさ。屏風の美しさ。何もかもが美しい本である。昔から灯りが大好きで、小さい頃から照明の交換をするのが好きだった。初任給でとんでもなく高い照明を買おうとして同期に止められたくらい好きだ。だから、こういう陰翳が大好きなのだ。もはや読む芸術。ただの味噌汁や羊羹なのにその表現の素晴らしさよ。そこだけを何度も読み返してばかりいたために読み終わるのにかなりの時間を要した。

「膳と吸い物椀の外は殆ど陶器ばかりを用い、漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないだろうか」

「美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った」

「われわれ東洋人はなんでもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである」



そして、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』も読了。何度も読んでいる。何度も何度も読んでいる。でも、読むたびに新しい発見があって、そのたびにあぁもうちょっと頑張ろうと思えるのだ。そして、おいしいサンドイッチを食べたくなる。


『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』も読了。武田百合子がたくさん出てきて嬉しかった。武田百合子とか、スープとかパンとかいろいろ繋がっている。自分が本屋で選んで、読む本は全部深い深いところでつながっている。うれしい、たのしい。



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