ある日。
朝食、玄米ご飯に生卵をまるまるかけてしょうゆをたらしてたべる。
これまで、卵黄だけをのせて食べたことはあるけれど、それも数え切れるほどだ。夫と付き合い始めて、初めて卵かけご飯というものを知った。今日まで10年近く、なんかぐちゃぐちゃしていて気持ち悪いなぁと横目で見ていたが、いよいよ自分も食べる日がくるなんて。昔から卵は嫌いだった。実家では目玉焼きが出たが、嫌いだったので、もっと欲しがっている弟の皿にこっそり移していた。とにかく卵は食べなきゃと思って買うのだが、よく賞味期限を切らす。一応卵だし、賞味期限は守りたいなと思い、泣く泣く捨てる日が10年くらい続いていた。しかし、捨てるのがもったいないので何とかしようと、煮卵を作り食べ始めたのがこの1年くらいである。私は本当に体力もなく、健康な日は一年間で3日くらいしかないので、食事の改善をして免疫力をつけてきたが、いよいよ小麦粉が食べられなくなってきたので朝食は玄米になった。それでいろいろとごはんのお供を用意するようになったのだが、究極の完全食である卵が最も適しているのではと検索したら、なんと卵かけご飯は疲労しにくい体を作るらしい。これだ!と思い、ごはんをよそった上にネットで見た通り卵を割入れてしょうゆをかける。夫が何だかぎこちないけど大丈夫かとパンを食べながら見ている。溢れんばかりの卵の量に苦戦しながらもなんとかかき混ぜごはんに絡ませ、お供のひじきと一緒に完食した。うーん。正直そこまでおいしくはない。でも、食べたそばから目がガンガンに見開き、エネルギーが湧いてきた。これはすごい。卵のエネルギーが頭に染み渡っているような感覚で脳疲労がまずなくなった。驚き。明日からはこれを食べようと決意。
日中仕事。選書、メール対応、請求書の発行、もろもろの仕事がはかどりスッキリ。きっと卵のおかげと心の中で卵に感謝。昼になっても夢中で仕事をしている私に代わり、夫が冷凍食品のナポリタンを温めたりチーズをかけたりして用意してくれた。嬉しい。食べている間に、ふと思ったことを聴いてみる。「あなたはさ、美味しいものを食べるの好きでしょ?コロナであちこちおいしいもの巡りができなくなって淋しい?」と。夫が「え!?もう2年くらいたっているけれど今気づいたの?」と驚かれる。確かに。もう2年くらいたっている。遅かった。それで謝り、「やっぱりさびしかったの?」と聞くと、「そうだね、寂しいね」と。やっぱりこの人にはおいしいものを食べさせてあげたいと思った。私は食に関心がないので、料理をするのもほぼほぼおいしいもの好きな夫のためで、いよいよ毎食おいしいものをつくるのに疲れてきたので、そうめんでさぼろうかと思って聞いたのだが、それはかわいそうな気がしてきた。それで、そのことを話すと、「きみの作る料理はどれも美味しいけれど、もっとそうめんを増やせばいいのにとおもっていたよ」と私を気遣う言葉までいただいてしまった。そうか、そうめんもっと出してもいいんだ?うれしいなぁと思う。
夕方、愛犬の散歩に出かけたときに、団子を買いに行ったが、もうなかったようで夫がおはぎを買ってきた。夫が浮かれておはぎを持って出てきた横を、ママチャリの後ろにのった男の子がママにおねだりしていた。「ぼくも、ここにはいりたい!」とそうしたら鬼の形相で自転車を漕いでいるお母さんが、「ここには入りません!」と驚くほど大きな声で一喝。夫が、驚いていた。おもしろかった。
夕食、冷蔵庫お片付け献立。余っていたきのこ類、豆腐、豚肉、白菜などで寄せ鍋。久しぶりの鍋、暑かったけれどおいしかった。十五夜で満月の夜なので、月光欲がてら散歩に出る。それでも、やっぱり月見と言えば団子だよねとコンビニに行ったがなかった。家の中でご飯を食べていた時には、ものすごい満月が見えていたのに、夫と外に出たとたん、大きな雲に覆われて真っ暗になった。それで自販機まで行きジュースを買って帰ってくるときにも確認したけれども真っ暗であった。さすが、曇り男。夫は、雨は降らせないけれど、大事な時はいつも曇りである。
夜、『ドミノ』を読む。
やることが多すぎて、やりたいことができない。それでずっとイライラしている。もう何日もイライラしている。私は早くそれをしなければならないのに、なかなかできないのでもどかしい。早く早く何よりもそれを最優先しないとと気ばかり焦っていて何もできていない。覚悟を決めて、どんどんどんどんやることをこなして減らしていこう。もっともっと手放して、シンプルにしないといけないのだ。すべてのやることを書き出して、こなしていく。もっともっと自分をコントロールしていかないと。余裕をもった計画を立てないと。夜の考え事、概念を壊すことについて。なにそれ?
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