ある日。
誕生日。40歳になった。毎年、誕生日は一年間で最も憂鬱な日で、こんなにも清々しい気持ちで迎えられたのは初めてのことだった。生きてきてよかったと、初めて思えた。
朝食、おにぎり。
愛犬にも餌をあげて、散歩に行き、いそいそと出かける。
40歳の記念に好きなパレスホテルに。ホテルステイが好き。できることなら、誕生日は毎年ホテルで過ごしたい。ホテルから一歩も出ずに、ごはんを食べて、お風呂に入って、本を読んだり寝たり自由に過ごせるのが好きだ。お昼にチェックインを済ませ、部屋に行くと、ホテルからのサプライズメッセージカードとちょっとしたお祝いプレート。スタッフの方が、お写真を撮ってくださった。それが驚くほど逆行だったり、アングルがよくなくて面白かった。もはやここはどこ?大好きな和田倉噴水公園を見下ろす素敵なお部屋。一息ついたところで、小腹が減ったのでツナとチーズのサンドイッチとマロンシャンティイを頼む。パレスホテルに泊まることと、マロンシャンティイを食べることを楽しみにしていたので、こうして部屋で食べることができて幸せ。浮かれまくっているので、夫に写真を撮ってと頼む。私が写真撮ってなんて、めったにないことなので夫が戸惑っていた。テラスでケーキとコーヒーを堪能した。二月だと言うのに、春みたいな陽気の日でとても気持ちのよい時間だった。
しばらくして落ち着きを取り戻し、コーヒーを入れて、おもむろにノートを取り出す。40代でやりたいこととか、これから先どんな人生を送りたいかなどを書き込む。一番最初に書いたことは、「生き延びる」ということだった。私の人生にはいつも死がつきまとう。だから、いつでも明日死んでもいいようにと死を前提に生きてきた。生き延びようなんて思いもしなかったので、こんな風に思っている自分に自分が一番驚いている。でも、死が身近にある人生もそんなに悪くなかった。きっと、死が身近でなければ、自分が後悔しないように一日一日を全力で過ごすことなどなかった。生きていることが奇跡だなんて思わなかったであろう。他人になんかかまっていられずに、自分の人生だけをまっとうできたことは幸せだったことなのだと思う。生き延びようと思うと同時に、どれだけ周りの人に恵まれてきたことかも理解できた。私は恵まれすぎている。これからは恩返しもできるようになりたい。
時間になったのでディナーに出かける。夫にディナーは何かリクエストはあるかと聞かれたので、「クラシカルなフレンチで、ステーキを食べたい」という、無茶苦茶なお願いをしていた。最近のフレンチはどこもモダンで、ヘルシーで、花がきらびやかに飾られている。そういうのは好みではない。結婚式を挙げた歴史あるフレンチもそうなってしまった。それが先月の結婚記念日に行って残念だったこと。お肉も、ジビエとかとろとろに煮込んだラム肉とかだったのが悔やまれた。私はそれをずっと根に持っていたので、誕生日には絶対にクラシカルなフレンチで肉を食べるぞと思っていた。それで夫に連れて行かれたのは某ホテルのフレンチであった。
前日、夫に「きみは喜び下手」だと言われた。自分でもそう思う。誕生日に夫がすべて手配をしてくれているのだから、委ねて黙ってついていけばいいのに、そうはできない。結婚当初から夫に「君は黙って俺のあとをついてくるタイプじゃない」と言われた言葉が頭をよぎる。ストレスだ。自分が知らないところに行って過ごす「時間」と自分の選んだものではないことに「お金」をかけることが。自分でもめちゃくちゃなのはわかっているのだが、夫に誕生日のことは内緒にしておいてねと言っておきながら、我慢ならず泣いて暴れる。私の時間とお金を、自分のコントロールしていないところにかけるなんて嫌だと泣きだす始末。それで、夫に明日は何時にどこで何をしていくらなのか?変なサプライズは用意していないだろうなとすべてを吸い上げた。吸い取られた夫はあれこれ用意して驚かせようとしていたサプライズをすべて事前に出し切るという、思っても見なかった仕打ちに「もう、当日はこれ以上なにもないからな!」とキレていた。それで言われた言葉が「きみは喜びが下手だ。誰も信用していないし、誰にも任せない。つまらない」という言葉である。私は、自分の人生において自分だけで何かをしようという独立心の強さが仇となり、人を信頼するという概念があまりない。それは家族に対してもだ。なんだかつまらない人生のような気がしてきた。だから、40歳からは人を喜ばせることだけでなく、自分でも喜んで行こうと決意した。
そんなすったもんだの末の、このレストランである。どのレストランでなにを食べるのかも、最後にケーキがサプライズで出ることも、知っているけれど楽しい。前菜に金沢に旅行に行った際の思いでの地、七尾湾で取れたアカニシ貝が出てきた。お店の方が七尾湾の説明を熱心にしていたが、行ったことのない人にはわかるのだろうか。それと、3ミリ四方にカットされたいろいろな野菜とソース。まるで食材とソースを何か当てながら食べるようなもので、夫と熱心に食べる。スープも、お魚も美味しくいただき、メインの待ちに待ったステーキだ。ステーキの塊を1ミリほどの薄さに丁寧に切って、3種類のソースにかわるがわるつけて食べる。ふと見ると、他のテーブルの若い男性は、大きめにカットして3口ほどで食べてしまった。いろんな食べ方の人がいる。面白い。夫は、丁寧に薄く切ってその都度、ソースをちょっとだけたらして食べていた。きれいに食べる人だなとほれぼれした。お肉を食べ終えてサプライズのケーキがやってきた。来ると分かっていたのに、どこから出てきたのかそのケーキは私の背後から突然現れて驚いた。あまりにも驚いたせいか、お店の方も説明する際に噛み噛みになってしまって、面白かった。いろんなサプライズプレートがあるけれども、おいしくて、可愛らしくて一番好みのものだった。夫よありがとう。そのあとでコースのデザートまでしっかりと食べて帰った。
和田倉噴水公園を散歩して、スタバが閉店する瞬間を見て、寒くなってきたのでいそいそとホテルに帰る。夜のホテルはロビーも静かだ。いつも誰かしらが写真を撮っているロビーのお花の前で写真を撮ってもらおうとスタッフの方にお願いする。すると、結婚式の帰りと思われるラグジュアリーな女子二人が、かわりばんこで写真を取り合っていた。その写真を見て、あーだこーだ言って大笑いしている。面白い。「私めっちゃ姿勢よくない?」とモデル立ちをしていた女子が言っていた。私もそう思ったよ。しばらく眺めていたけれども、その二人は全く気付く様子もなく写真を撮り続けていたので、スタッフの方が、声をかけてくださり、私たちはいそいそと写真を撮ってもらった。菜の花とかミモザとか黄色いお花だけで生けられたそれは、とても好きだった。私は黄色が好きだ。ラッキーカラーだ。嬉しかった。部屋に帰り、いそいそとお風呂を準備して入る。夫はソファが気持ちいいと言って、ずーっとそこに寝ていた。ベッドから見える東京タワーのライトが消えて、私の誕生日は終わった。『月と六ペンス』を読んで夜を過ごす。
翌朝、前日よりもいい天気だ。朝食をインルームでお願いしていたので、テーブルに並べられたパンやサラダやフルーツやオムレツにものすごい太陽の光が差し込んでくる。すごい。私って持ってる。と思ったのもつかの間、食べ始めたら途端に具合が悪くなった。食べすぎだろうかと思うものの、なんか違和感あるなという程度だったので、完食した。すると、下げてもらおうとスタッフの方がやってきた途端、ものすごく悪化。スタッフの方が和やかに夫と話している会話を聞きながら、ベッドでもがく。早く帰ってくれーと念じる。ドアが閉まったと同時にものすごい速さでトイレに向かう。吐いてしまった。自分で言うのもなんだが、私が記憶にある限り、小学生のときと社会人一年目のとき、それとおととしに牡蠣で当たった以来吐いていない。どんなにつらくても吐けないたちだ。それが我慢できないほどの嘔吐。そして、上からも下からも止まらない。ずっとトイレから出れない。最初は食べすぎなんじゃない?と言っていた夫も、この光景は見たことあるなと思ったようで、「牡蠣のときのようなひどさがあるよ」と言う。そうだ!昨日、七尾湾で取れたアカニシ貝を食べたではないか。それだとわかったら気が楽になった。とにかくトイレから出れない。多分この日、このホテルで最もトイレに顔を突っ込んでいた客は私である。原因が分からないまま3時間くらいそうしていたのでつらかった。12時頃にチェックインを控えやっと落ち着いて何とか間に合った。助かった。楽である。真っ青な顔で、ボロボロだが何とか部屋からは出られた。調子に乗って夫と皇居の散歩に出る。しかし、冷えたせいかまたピークがやってきた。皇居のトイレに向かって一目散。皇居のトイレは、古かったけれど清潔で天井がガラスで開放感あふれるトイレであった。何とか落ち着き、外に出る。皇居のマンホール、4か所がすべてマステみたいなもので貼られていたねと言うと夫は気づかなかったようだった。全てのマンホールを見ていたのは私だけだったようだ。
安定している間に電車に乗って帰ろうといそいそと帰る。最寄駅からもバスに乗って帰る。とにかくいつやってくるのか分からないので早歩きで返る。翌週健康診断を控えているというのに、この日から一週間ノロウイルスにやられて寝込むことになった。調べてみると、どうやらアカニシ貝は牡蠣を食べる貝らしく、ようするに私は牡蠣に当たったということになるのだろうと分かった。
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